『桜と……』  まだ寒さの残る3月の空、しかしその少し前はなぜか暖かかったためもあってか、桜は見ごろを迎えていた。  僕は今、その美しい桜がトンネルのように先並ぶ階段を登っている。  ……そう、階段なのである……  白玉楼へ向かう階段、そこで催される野点に呼ばれた僕は、この桜の下を進んでいた。  ……まったく……空を飛んで向かえば、このトンネルの素晴らしさは分からないだろうに……  だがこのトンネルも、野点の誘いが来なければ味わえなかったわけか……感謝しなければならないかもな。    これが宴会であれば、僕は迷うことなく誘いを蹴っていたのは確実であろう。  しかし、その誘いが野点であるならば話は別だ。    野点とは、茶道における実践的なものであり、茶事の一種だ。  どう違うかと言えば、屋内か屋外かぐらいだな。  こんな美しい桜が咲いているのだ、恐らく白玉楼の庭はさらに美しいのだろう。  風になびいて揺れる桜の木  はらはらと舞い落ちる桜の花びら。  かすかに香る桜……  素晴らしい……  桜といえばここに咲いているのはヤマザクラだろうか、一応階段を登っているところにあるのだしね。  短期間の開花時期に集中して花見をする必要はなく、じっくりと観察できる桜だったと思う。  この美しい桜を、中国では『花の中心あたりの黒い点がダメだ』と言い、美しいと評価しないのだとか。  ……まったく、もったいない。  平安時代までは和歌などで単に「花」といえば「梅」をさしていたが平安時代から「桜」の人気が高まり「花」といえば桜をさすようになったそうなのだ、どちらも美しいと思うのだがね……  僕が思うには……  ドンッ!! 「おっと」 「わっわ!!」    何かにぶつかってしまった……下を見ると、尻餅をついた少女がいた。  僕と同じ銀髪を短く切り揃えたこの娘は…… 「やあ、妖夢。人魂灯は無くしてないかい?」 「人にぶつかって置いて最初の一言がそれですか……まったく、貴方は……」  何かぶつぶつと言っているがそんなことは気にしてはいられない。  僕は桜と歴史について考察しなくてはならないのだ。  そういえば、桜の歌に妖夢の主と同じ姓の作者がいたな……あれは確か…… 「はぁ……まあいいでしょう。どうせ桜について何か考察でもしていたんでしょうね貴方は」 「桜に見とれて前方不注意だった……という可能性は無いのかい?」 「だって店主さんだし」  ……どうやら、僕だからという理由で片付いてしまうようだ…… 「まぁ、私も似たようなものなのですし、しょうがないですかね」 「……君が桜について考察できるほどの頭があったとは驚きを隠せないね」 「貴方と一緒にしないでください……では私はこれで」  そっけなく行ってしまう。 僕と一緒にしないでくれとは、また失敬な娘だ。  しかし、そうなると彼女は桜に見とれていたということだろうか。  ……庭師という職業であったと思ったが、それで仕事になるのだろうか…… 「……そろそろ時間が不味いな……惜しいが急がねばならないか」  僕としてはもう少し考察に浸りたかったのだが、せっかく誘っていただいた手前、遅れては失礼だろう。  妖夢と同じ失敬になる、それだけはなんとしても避けねば……  そう考えた僕は、桜吹雪の舞うトンネルを駆け上がった。    そして…… 「よう、香霖!!お前が来るとは珍しいな!!」  僕は……『宴会』の会場を目の当たりにした……  どう見ても主役は『花』でなく『酒』である。  主役が『花』でないのなら、これは『花見』ではなく『宴会』である。  そんなことより…… 「僕は野点と聞いて来たのだが……」 「誰が言ったんだ? そんなこと」  『やられた……』  それが素直な感想である。  これなら店の裏の桜を肴に一人ぐい呑みを傾けたほうがまだ良い。  最近仕入れた桜の模様のもあったはずだ。  ……後悔してもしかたがない、とりあえず離れたところで一人で『花見』を楽しむか。  …………  一際大きな桜があった。  満開ではないようだが煩いよりははるかにマシだ。  それに、ここに来るまでのものとは、なにかが違うように感じる…… 「店主さん、何でこんな離れたところで一人でいるんですか?」 「……僕は野点のつもりでここに来たんだ。  花を見ながら、茶を楽しむのが楽しみで来たんだ。  ……あれは花見ですらないではないか……  せめて、と思ってね」 「なるほど……わかりました。  では、私もご一緒させてもらえますか?」 「……君、主の傍に控えてなくて良いのかい?」 「ええ。  ……近くにいたら無理やり呑まされてしまうので」  ……この少女に同情する日が来るとはな……僕も霊夢や魔理沙に同じような目に合わされたことがあった。 「それに、この桜の下では危険ですからね: 「危険?  この桜がか?」 「ええ、春雪異変のことはご存知ですか?」 「ああ、君たちが起こした異変だったね。  おかげであの年は春の楽しみが減ってしまったよ」 「……すいません」 「で、どうして危険なんだい?」 「この桜は、西行妖といいます。  かつてはその美しさで、死を呼んだそうです」 「外の小説だね、『櫻の樹の下には』という作品か……  満開の桜の樹に心の澄まされる美しい情景の直視に堪えられず、それらに負、即ち死のイメージを重ね合わせた……  そんな作品か……しかし、君がその小説を知っていたとは驚きだな」 「いえ……その小説自体は知りません。  しかし、その話に酷似したことが、祖父の代で起きたそうです」 「ふむ、すると、この桜が『櫻の樹の下には』の舞台となったわけか……  しかし、今は満開ではないな。  となると、この桜の満開と、春雪異変が関わった訳か」 「詳しくは説明できませんが、そういうことですね」    そういえば、ここに来る途中に思い出そうとしていた歌は、確かこんな歌だったか…… 「願はくは」  死ぬならば 「花の下にて」  誰にも迷惑をかけずに死にたい 「春死なん」  人でないために人より長く生き   「そのきさらぎの」  妖怪でないために妖怪より早く死ぬ  だから僕は…… 「「望月のころ」」  ……妖夢と言葉が被ったようだ。  彼女もこの歌を知ってい……そうか、異変の関係者だったか。 「貴方、死について考えませんでしたか?」 「……」  図星。  妖夢にそこまで深く僕の考えを読まれる日が来るとは、僕もまだまだかな。 「いや、そんなことはないさ」 「本当ですか?」 「ああ」 「ならいいですが……」  どうやら、本物のようだな……  だとしたら、妖夢には少しぐらい感謝が必要かな。 「ところで妖夢、この酒を呑んでみないかい?」 「いや……私は辛いのは苦手でして……」 「この酒は『出羽桜』と言って、外の世界の酒だ。  この酒は甘口でな、外の世界の有名な漫画でも紹介されたことがあり甘味を感じつつサラリと切れる非常に……」 「甘口なんですか。  なら是非呑ませて下さい」  ……まあ、薀蓄を邪魔されるのはいつものことか…… 「あ……でも私のコップがないですね……  すぐ戻って来ます」  行ってしまった、まあここの器ならかなり良いものを期待していいだろうか。  良い器といえば、やはりあのぐい呑みがないのが惜しいか…… 「お待たせしました」 「いや……まってないよ……というか、随分早かったね」 「ええ、紫様が途中でこれを渡してくれまして」  ……その手に握られてるのがどう見ても僕が先ほどから惜しんでいたぐい呑みにしか見えないのは目の錯覚だろうか……  しかも二つあるという…… 「まあいいか……」 「なにがです?」 「いや、気にしなくて良い」  こんなに桜が美しく咲いているのに、器を気にするのは失礼かな。  ……慣れてきてしまったなぁ……常識はずれに……  そう思いながら、僕はぐい呑みを口につけた。